介護王子です。
昭和40年代生まれ
父、母ともに昭和1桁生まれの次男
俗にいう恥かきっ子
詳しくは下記の方に書いております。。。
まず 家族についてから ご覧ください
【父について】
父は田舎では18代続く名士と呼ばれる裕福な家に次男として生まれた。
よく聞く、独りの道楽ですべての財産が無くなるという世間話通り、 曾祖父の時代に資産がすべて無くなり 金持ちから一文なしに一瞬で転落し、 父が小学生の頃には家族と離ればなれで暮らす。
という境遇だった。
青年期に居場所がない理由に兵隊に志願し海軍に入兵した。
海軍兵時代はあの有名な戦艦大和にも乗ったことがあるそうだ。
終戦時は北方のソ連軍に備え北海道に赴任され生き延びる。
仲間や同郷の友人は沖縄ですべて全滅 終戦当時「なぜ自分だけ生きているんだ。」
と恥じた時期もあったと後に知らされた。
終戦後、親戚が役員を務める印刷会社勤務
その後は地元で従弟が経営する会社の番頭として
最後は自分のお店を開いて(のちに閉店)
隠居生活 平成22年頃前立腺がんを発見し薬治療を行っていた。
平成24年 夏 熱中症にかかり その間 薬をやめてしまった
冬 1か月薬を丸丸やめた関係で数値が一揆に悪くなり腰骨にがんが転移。
余命宣告を受ける
平成25年1月 痛さに耐えらず 入院 放射線治療
平成25年 1月末 転院
平成25年 2月 寝たきりとなる 要介護5
平成25年3月~5月 在宅で介護
平成25年6月 肺炎を起こし入院
平成25年12月 病院にて 終身
【母について】
母の母(祖母)は代々続く米問屋の令嬢として生まれた。
その後弟(東大出)が結核の為、隔離する理由で祖母(曾祖母)の家に預けられ、
そこで丁稚であった祖父と恋に落ちて結婚。
母方の曾祖母から援助は有ったものの貧しい暮らしをスタートさせたようだ。
その両親から母は7人姉妹の次女として生まれる 。
子供のころから「賢い子」と呼ばれていたらしく勉強が大好き。
家が貧しいから本を買えないが一日で読破してすべて暗記することから
周りは本を次から次と貸して母に本の内容を聞くのが面白がっていたそうだ。
そんな母は看護学校入学後国家資格をとり、祖父の友人の眼科を経て
皇族も出入りがあったといわれる 東京の助産婦学校を経て地元に戻り
地元診療所に勤務。
田舎では都会にいた母を「○○先生」と呼ばれるくらい仕事に没頭したらしい。
そんな父と母は同郷で両親の縁談により結婚。 結婚後 新天地(現住所)で助産院を開業 当時近所は貧しい人が多く、人からの報酬を頂けず、結局は地元の市役所に1期保健婦として入所。
その後も家庭と仕事の両立で退職 現役時代は 女性のがん検診を日本で最初に始めたことから 新聞全面に掲載されたり ドキュメント映画化にもなったようだ。
今でいうキャリアウーマン。
退職後はお手伝いで 幼稚園や保育園に行っていた
平成13年 腰を痛め 下半身が不自由になり 要介護1認定
平成25年5月 認知症の診断と足腰の不自由より要介護3認定
(認知症状を医学的に知ると 症状はすでに退職後からあった) 現在に至る
平成27年1月 直腸がんにて 人工肛門形成(がん治療はせず)
平成27年2月18日退院 自宅にて介護(要介護5認定)
平成27年10月 肺炎をお越し 最期といわれた病院入院
平成27年11月 覚悟を決め 自宅療養と介護
平成27年11月 特別養護老人ホーム 緊急入所
平成28年3月31日 食欲もなくなり脈拍も弱くなり入院
平成28年4月3日 他界
【兄弟について】
僕には15歳離れた兄がいたが 僕が中学生の時、仕事中現場で殉職した。
享年29歳 兄には当時 幼い娘2人 (下の子は抱かれることも知らず)がいた。
子供のころから優秀の兄は、中学では生徒会長 弁論大会で優勝等 地域でトップの高校から 私学大学
そして 親戚が役員を務めるゼネコンに勤務。
ゼネコンで現場にて殉職。
【私介護王子について】
介護王子と言いながら僕の歳をいうと「なーーんだ」と思われるかもしれないが
地域では 40代で2人の人間を独りで介護することが珍しく 交流会なのではずば抜けて若かったので自称『介護王子』ということを許してもらいたい
大学までは努力もせず運だけで進み、最後の売り手市場ということで東証一部上場企業に就職した。
阪神大震災の時仕事で現場を見て 「会社がつぶれたら俺どうしよう?」という不安から 突然会社を辞め約1年間親戚のラーメン屋でお手伝い。
その後人材派遣会社を立ち上げ 会社設立 。
順調とは言い切れないが 色々な業態、業種を経験した 。
会社は5社 述べ従業員数は300人は超えただろうか。
5社の中の1社が、とある利権社会に巻き込まれ 負債総額数億で倒産に追い込まれ
代表者である私が連帯保証人であり個人にすべて債権がのしかかり数億はあるだろうか。。。
当然自分の家族とも別れ一文無しで実家に舞い戻った。
その時から父のがん治療の送迎、買い物 二人の料理の用意など いわゆる介護生活がスタートしたのだ。
世間では「立派ね」とか「よくやっている」とか 言われているが 実は やらなくてはならない状況だった。
というのが本音で、決して褒められることをやっていないのだ。
仕事が成功していたら正直 親の介護ができているかは不問である。
今の状況は兄弟もいない中で介護であるから役割であるのは間違いないが・・・・。
よって 介護だけではなく僕には色々やらなければならないことがある。
そのような事を考えると当然人間哲学や宗教観等 「何のための人生か?!」
を真剣に考えてしまう。
そんな山あり谷あり人生の中で介護を通じて学んでいることを少しでもお役に立ててれば幸いと思う。
お問合せご質問 できるだけお応えいたします。
ご遠慮なくお問合せやメッセージお待ち申し上げます。
二人を見送り 今は 元介護王子として 直近の介護社会状況も追記してこうと思う
平成28年6月 介護王子
令和6年8月 改定 元介護王子