こころの時代~宗教・人生~「捨てられた石が礎となる」

度々 当ブログの紹介に出てくるEテレの番組
こころの時代~宗教・人生~

ビデオの貯め撮り録画を 時間がある時に観る。

 

今回は

「捨てられた石が礎となる」と題した 精神科医の特集だった。

以下番組ホームページ説明
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こころの病を抱える人々と向き合ってきた精神科医・崔秀賢さん。
20代で精神科の閉鎖病棟を目の当たりにし、行動制限により人間の尊厳を奪う医療のあり方に疑問を持った。
以来47年に渡り取り組んできたのが、当事者の意志を尊重し、他者を信頼して社会で生きる希望を見つけていく“開放医療”だ。
その取り組みの原点には、自身が受けた差別体験があった。苦しみの先に見出した人間の尊厳を大切にする医療への思いを聞く。
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2017-12-24/31/29713/2008294/
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番組中 僕が一番共感したのは

先生は 「病んでいる人を助ける事が自分自身を助ける」
と仰っていた。

 

自宅によく患者さんが夜中でも先生に話したく電話をしてくる。

「なぜ電話番号を教えるのですか?」

という質問に

「お友達に電話番号を教えるのは普通でしょ?!
なぜ病気の人だから教えないの?」

と 聞き返されていた。

ようするに 病気の人 精神疾患を持った患者を差別する必要が無いというのだ。

それは 頭だけではなく 心からそのように言われているように思えた。

年を理由に医院長を退任されたが 一人の医師として人間として
患者達と 接し たまには 昼食もとるようだ。(写真は患者さんとされている様子である)

この患者さんの家は 天井に6人の人が住んでいるようだ。

この日も「先生と食事するから一緒に行かないか?」と

「天井裏の人に言ったら
返事が無かった」と普通に答えているのだ。

このように 見えないものを物語の様に言うから まだ精神疾患と呼ばれてしまうようだが
僕は 全く 不思議ではないと思う。

 

人によって見えるもの見えないものそれは現実にあると信じている。

 

事実 母も お化けを見たと 普通に言っていた。

老人痴呆や 障害者と呼ばれる方々の発する 見えないものを
信じなくても 相手を否定する事は 社会から なくし 尊重をすればよいと思う。

 

事実 この病院のある街は 以前に比べ 病気から 立ち直っている人が沢山いるようだ。

差別や憎しみ。

そんなものが無くなれば 人間も含めた全ての生き物に病気というものは減るのは間違えない。

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